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蜩の鳴く頃に ver.1.1

                         
               「蜩の鳴く頃に」 


                                文:いくい
                               挿絵:文月いめり (敬称略)                                  





               ありえない日常とありえない結末。
               幸せは十把一絡げ。
  
               生んでくれてありがとう。
               私は今日も生きています。

  




          





「[一頁 御噺]

『○○が××した■■だから』
《省略》
『……嘘。そんなことを私、望んでいない』
『……今の貴女ならそう思うでしょうね』
《省略》
『ねえ。一つ訊いていい? ……貴女、※でしょう』
『…………ええ』
 二人は対峙したままお互い次の言葉を発するのを待っていた。
 空は漆黒。
 森は囁き、そして、

[三頁 昭和五十八年六月]

 夏にはまだほど遠い昭和五十八年六月。
 この日、××県寒村にある雛見沢村の気温は二十度を優に超えていた。
 雛見沢村唯一のコミュニティ施設である古手神社の主。
 御三家の一つ、古手梨花は本家から少し隣接しているところにある今や住居となったプレハブで作られた防災小屋の窓から外を眺めながらも憂いな表情を浮かべていた。
 梨花はもう一人の同居人である北条沙都子の顔を見る。
『ねえ、沙都子。そこに羽入はいるのですか?』
『ええ。またシュークリームを食べようとしていますわ』
 そう、と梨花は呟く。
 暫くして梨花は散歩してくると言った。
 沙都子はついていくと申し出たが梨花はソレをやんわりと拒否した。
『なら私は羽入さんと待っていますわ』
『…………そうしていただけるととても助かるのです』
 梨花は玄関先に置いてあった麦わら帽子を被り一人家の外に出た。
 若干季節はずれの蝉の鳴き声が梨花の鼓膜を鼓動し、ソレはほどよいBGM。 
 だが梨花の表情は相変わらずどこか諦観にも達観にも読み取れるような表情。
『…………もう慣れた』
 梨花の呟き。
 彼女の心の中は空疎が占めていた。
 空を仰ぐと突き抜けるような雲一つない蒼い空に一直線に伸びる飛行機雲が見えた。
『なんだか、まるで私みたい』
 自嘲気味に言うと、梨花は再び闊歩する。
 まだ蜩がなく数時間前。

[五頁 梨花]

 古手梨花にだけ古手羽入のことが見えなくなった。
 それだけなら梨花も諦めがついたのかもしれない。
 しかし現実は梨花のみ古手羽入の姿が見えなくなったということ。
 梨花は当初羽入に見える素振りをしながら他のクラスメイトと合わせていたがすぐにボロが出た。
 羽入の姿だけでなく声も梨花には聞こえなかった。
 次第に梨花は無理に合わせることをやめた。
 もう限界なんだと、梨花は悟った。
 百年と続いてきたループの終焉。
 ループができたのは古手梨花の力ではなく神様であり、オヤシロ様である古手羽入の力によるもの。
 故に今の梨花は自らの力でループすることが出来ない。
 この世界。昭和五十八年が古手梨花にとって本当に最後の時間。
 綿流しまであと二週間。
 
[八頁 館]

 梨花は一人闊歩していた。
 炎天下とはいかないまでも夏に等しい暑さは雛見沢育ちの梨花としても酷なものであった。
 被っている麦わら帽子の日陰が唯一の救いだったがそれでも肌からは常に汗が出て、水分を確実に消費していた。
 だが梨花は歩みを止めることなく足を動かす。
 何も考えたくなかった。
 否、思考を働かせたくなかったのだろう。
 羽入のことが見えないということ。
 いくら梨花が生き延びたとしてもこれまでのように羽入と一緒に苦楽を共有することができない。
 梨花はソレが何よりも苦痛だった。
 今まで一緒に旅をしてきた共がいなくなったという寂しさ。
 正確にはいなくなったのではなく『現れた』と言っていいだろう。
 だがしかし梨花の双眸でその姿は見えなくなり、触る感覚を失ったソレはこれまでの羽入とは違うもの。
 つまり、別人。
 そう決めつける思考が怖く故に梨花は思考を停止さて、とにかく歩くことに集中した。
 閑話休題。
 がさっと梨花の腕に何かが触れた。その方向を向くとそこには無造作に伸びた葉が取り囲んでいた。
 いつの間にこんなところに来たのだろうか。
 梨花はそう思い引き返そうと後ろを振り向くがいつの間にか森の中に紛れたらしく入り口らしきものは見えない。
 はぁと梨花は溜息を吐いた。
 暫くどうするか逡巡した後、梨花はこのまま進むことにした。
 今から戻ってもそこに待ち受けているのは死へのカウントダウン。
 何が敵で何が味方さえ判らない恐怖の連鎖。
 梨花はソレを思うと酷く嫌悪し、ざくざく、と歩を進める。
 暫く歩くと開けた空間で現れ梨花はソレを見た途端、言葉が失う他なかった。
 薔薇と蔦に囲まれた古びた洋館。

[十二頁 瑠璃]

 その洋館はまるで何かに隠蔽されているかのようにひっそりと佇んでいた。
 だが庭には真っ赤な薔薇が咲き誇っており、ソレを見て梨花は怪訝する。
 木々によって日差しが遮られているのに薔薇が咲いていること。
 まるで洋館を中心とした周縁は別世界のよう。
 ごくりと梨花は喉を鳴らし、扉の前で立ち止まる。
 扉を開けずに立ち去った方がいいのではないのか、と梨花は脳裏を掠める。
 たが戻っても待ち受けているのは確実な死。
『……ここまできて今更迷うこともないでしょう』
 梨花は自嘲気味に言った。
 首を左右に振りネガティブな思考を払拭させた後、扉の取っ手を両手で持つ。
 そして引くとぎいと鈍い音を立てながら扉が開いた。
 途端梨花の双眸に飛び込んできたのは絢爛豪華な装飾で彩られた空間。
 煌びやかなシャンデリアに扇状に歪曲した階段。
 さながらお伽噺に出てくるお城。
 だがしかし人の気配はしなかった。
 梨花は緩慢に足を動かし探索を開始する。
 一階は厨房や居間や客人を迎えるために個室などが完備してあった。
 まるでホテルのような佇まい。
 もっとも梨花は生まれてから雛見沢の外から出たことがなかったのでホテルがどういうモノか知らなかった。
 暫くして梨花は一階の探索を終えるが人の姿はどこにもいない。
 おかしい。これほど大きな洋館に誰一人いないなんて。
 梨花はそう思考し、二階へ続く階段を見上げる。
『誰もいない……まさかね』
 誰に向けて言うわけでもなく強がりを言うが内心がくがく震えていた。
 引き返すなら今、そう考えたりもしたが結局梨花は階段を上り二階の探索をする。
 二階に上がりいくつかのドアが梨花の目に飛び込んできたが、ふと右の階段の突き当たりにある扉を開けた。
 扉を開けると、そこにはソファーの上で臙脂色の着物を来た女性の姿があった。
 華奢な身体で黒々とした長髪にまるで人形のような小顔。
 姿勢正しく座り、しかし瞼は閉じていた。
 梨花は彼女を凝視する。
『寝ているのかしら』
 刹那、女性がゆっくりと目を覚ました。
 突然のことに対処できず梨花はその場に立ち竦む。
 女性の双眸が梨花の姿を捕らえる。
 彼女の澄んだ瞳に梨花は見つめられ耐えきられずに言葉を発した。
『あ、あの、ごめんなないなのです。その……』
『…………ねえ、貴女誰。此処は何処?』
 突然の問いに梨花は思わず怪訝する。
『どこって……ここは貴女の館じゃないの?』
『…………ねえ今日が何年何月だか判るかしら』
 彼女の質問はまるで的はずれなものばかりだった。
 梨花は不思議に思いながらも彼女の問いに応える。
『……そっか』
 彼女は自嘲するように笑った。
 その姿を梨花は何とも言えない表情を浮かべながら眺める。
 いつの間にか彼女に大人になった梨花自身を重ねていた。
 あと数週間に綿流し、そして幾ばくも経たないうちに何者かに殺される。
 以前までは意識を失い、そして気がつくと羽入の力でまだ昭和五十八年の雛見沢に戻ることができるが今回ばかりはそうもいかない。
 確実な死。
 古手梨花と言う存在の死。
 ソレが梨花は酷く怖く、故に目の前にいる女性にいつの間にか大人になった自分を重ねていた。
『いろいろとありがとう。ねえ貴女の名前はなんて言うの?』
『古手梨花』
 梨花が名前を言うと女性は俯き暫く口を噤んだ。
 顔を訝りながらどうしたのと彼女に聞いた途端。
『ふうん』
 女性はこれ以上ないほど納得した顔をしながら生返事をした。
 まるで絡まっていたピースが全て収まったような顔。
 そして暫くして彼女は梨花の顔を凝視しながら言った。
『私の名前は……瑠璃。うん、瑠璃よ』
『瑠璃? それって瑠璃色の瑠璃?』
『うん。それ』
 女性、瑠璃は梨花に満面な笑みを浮かべながらそう言った。
 続く邂逅。
 
[二十一頁 会話]

 梨花と瑠璃は一階にあるテラスで紅茶を飲みながら雑談に花を咲かしていた。
 でもこんなに綺麗な薔薇園を一体誰が手入れしているのだろう。
 梨花がそのことを瑠璃に訊くと彼女は柔和な笑みを浮かべながら応えた。
『一人でやっているわ。私この中庭のことをガーデンって呼んでいるの。何も捻りもないけどね』
『ううん。私は素敵だと思うな。その名前。なんだかアリスのお茶会みたいじゃない』
『そっか、梨花は読んだことあるんだ』
『児童用のやつだけどね。本編の方は言葉遊びが難解で』
『いいのよ。日本語には向いてないから』
 二人は笑い合っていた。
 梨花はこれ以上ないほどの微笑み。
 先ほどまでの諦観寄りの思想をしていた彼女とまるで別人だった。
『でも瑠璃、この館のお嬢様なんでしょ? それなのに何で使用人は誰もいないのよ。一人で大変じゃない?』
『……そうでもないわよ』
 瑠璃はそう言いながら薔薇園を眺めていた。
 その眼差しはどこか虚空。
 梨花には彼女のその姿がどことなく儚く思えた。
 儚くて脆い。
 ソレは自分に当てはまるのではないか。
 いうなれば鏡。
 梨花はそう直感する。
 いつかは訊かなくていけない事柄だが梨花はまず何よりも瑠璃との会話を楽しむことに心がけ、ソレを胸に潜めた。
 楽しいパーティ。
 
[二十六頁 諦観]

 数日後。
 梨花は瑠璃のいる洋館に訪れる機会が多くなった。
 ソレは瑠璃という人間が魅力的で会話していて楽しいことが一つ。
 もう一つはクラスメイトや親友達との齟齬。
 古手梨花の親友でもある前原圭一、園崎魅音、竜宮礼奈、沙都子は羽入と楽しく遊んでいる。
 もちろん梨花のことも除け者にはせずに学級委員長である魅音が誘っているが梨花はソレを拒否した。
 これまで羽入と一緒にいた梨花にとって苦痛しかなかった。
 彼等も梨花と話が合わないため、いつの間にか梨花と距離を置くようになった。
 唯一礼奈は親身になって梨花に接してきたやはり羽入のことになると話が余計拗れてしまった。
 そうして最終的に梨花の心の中は喪失と空虚が占めることになる。
『困ったらみんなに相談する、か……そういえば誰かがそんなこと言ったわよね。じゃあ困っているのにみんなに相談しても解決しない私って何なのよ』
 梨花は自嘲気味にそう呟くが、その言葉は虚空するだけだった。
 梨花は今日も瑠璃のいる洋館へ向かう。
 綿流しまであと一週間。

[三十頁 薔薇]

 梨花は洋館に入るとまず目に止めるのは中庭の薔薇園。
 屋敷自体は森に囲まれて決して日当たりにいい場所ではないのに薔薇は咲き誇っている。
 刹那梨花の目には手に如雨露を持った紺色のオードソックスなメイド服を着ていた女性の姿が目に入った。
 ポニーテイルが特徴的な三十代ぐらいの落ち着きのある容姿。
『真心さん。こんばんわなのです』
『こんにちわ、梨花様』
 彼女も倣って会釈した。
 彼女の名前は真心。
 梨花が瑠璃と初めて邂逅した後、再び洋館に来る時に彼女はメイドとして来ていた。
『みー。いつも言ってますけどボクに様は余計なのですよ』
『はい。では梨花さんでいいですか?』
『にぱー☆』 
 梨花は笑窪を作った。
『ところで瑠璃はまたいつもの部屋にいるのですか?』
『はい。お嬢様は梨花さんが来るのをいつも待ちわびているんですよ』
『みー。それはボクも一緒なのですよ。もしよかったら真心さんも後でお話してほしいなのです』
『はい。ではこの薔薇達に水をやってからでも早急に』
 梨花は真心の手に持った如雨露を眺めながら呟く。
『こんなに広い薔薇達に毎日毎日水をやるの大変ではないのですか?』
『ふふ。大変でない、と言ったら嘘になっちゃいますね。でも毎日薔薇のお世話をすることはとても嬉しいです』
『嬉しい?』
 ええと真心は笑った。
 梨花には先まで見通すことが出来ないほど隅々まで咲き誇っている薔薇の世話をすることに対して嬉しいという感情は芽生えない。
 不躾な表情を浮かべている梨花に真心は柔和な笑みを送る。
『梨花さんも一度したらそうなりますよ』
『そうなのですか?』
『はい』
 真心はいつまでも立ち話をしているとお嬢様に怒られますからと言いながら梨花を洋館の中に入るように諭した。
 梨花の後ろ姿を見送る真心。
 
[三十六頁 齟齬]

 梨花は慣れた足取りで瑠璃のいる部屋に向かう。
 扉を開け、すると彼女は梨花が来るのを待ちかまえていたかのようにハーブティの紅茶を入れてすぐにでも会話できる準備をしていた。
『こんにちは』
『こんにちわ』
 梨花が笑みを浮かべながら挨拶をすると瑠璃も笑みを浮かべながら鸚鵡返しするように挨拶する。
 彼女達は雑談を始める。
 梨花は瑠璃の前では狸も狐でもなく、素の古手梨花を表す。
 雛見沢の世界の住人と接点のない瑠璃は梨花にとって自分を晒け出す格好の人物であった。
 だからこそ瑠璃の前での梨花はどこか天真爛漫であり、どこか大人びており、総括して言うならば純粋無垢な子供だった。
『梨花はいいの? 確かもうそろそろ綿流しっていうお祭りがあるんでしょ? 何か儀式の練習をするとか言ってなかった?』
『うん。でも、もう動作はもう身体に染みついているから、ちょっと身体を慣らす程度で十分よ』
『そう…………ソレは凄いね』
『ううん。凄くなんかないわ。何千回、何万回同じ動作をすれば嫌でも染みつくよ』
 伏し目がちにそう答える梨花。
 これまで繰り返してきた雛見沢では数えるのが馬鹿らしくなるほど綿流しで奉納演舞を繰り返し、同時に毎回練習を欠かさず行ったためか梨花自身の言葉通りに身体に動作が染みついたのであった。
 それは傍目からすれば完璧な儀式であっただろう。
『……でも、だからこそ……今回の奉納演舞は嫌。やりたくない』
『どうして?』
 瑠璃の質問に梨花は口を噤む。
 そして言葉を選ぶように逡巡しながら梨花はゆっくりと口を開いた。
『なんて言えばいいか判らないけど……私、殺されるの。そう、綿流しのお祭りから数日後に、ね』
『ふうん。なんで殺されるって断言するわけ?』
『…………言っても信じてもらえないだろうけど。これまで私はこの雛見沢を、この昭和五十八年六月までをループしてきた。ソレはもちろん私の力じゃなくて、いつも私の傍にいた神様、羽入の力なんだけどね。私も詳細は判らないんだけど羽入の力を使って私達はこれまでいつも避けることができなかった昭和五十八年を何度も繰り返して、そして何度も殺されて、次こそはと涙しながらも立ち向かった……でもそれも今回でおしまい。だって羽入見えなくなったんだもの』
『見えなくなった? どういうこと?』
『私にも判らないけど……羽入は他の人間には見えて、私だけ見えなくなった。これまでは逆だったのよ。しかも沙都子や圭一達の話を察するに羽入自身は普通の女の子みたい……神様ではない私の遠い親戚、古手羽入。ソレはとても素敵なことだけど……でも私は……犯人が判らないまま確実に綿流しから数日後に殺される。間違いないの』
 淡々とした口調で梨花は呟いた。
 瞳もどこか虚ろ。
 瑠璃は何も言わずにただ梨花を眺めていた。
 だが梨花にとってはその無言が何よりも僥倖であった。
 慰めの言葉も同情も共感も気の利いた言葉も苦痛でしかなかった。
 刹那梨花は身体を前のめりしながら項垂れ、涙を流した。
 瑠璃はそっと傍に駆け寄り優しく抱きながら頭を撫でるとソレをきっかけに梨花は声を上げて泣き始めた。
 ソレは茜色が染まる夕刻。

[四十二頁 夜]

 帰宅後、涙を枯らして顔を真っ赤にした梨花に沙都子は怪訝した表情を浮かべていた。
 羽入も心配した表情を浮かべていたようだが梨花の目にその姿を映ることはなかった。
 沙都子の就寝後、梨花はいつものように布団から出て月夜を眺めながらワインを晩酌する。
 これまで羽入の小言は梨花にとって鬱陶しいものであったが、逆にソレがないと寂しい。
 梨花は目を沙都子の方に向ける。
 沙都子は寝苦しいのか布団を蹴飛ばし、腹を出しながら熟睡。その姿を見て梨花は柔和な笑みを浮かべた。
『沙都子との生活ももうすぐで終わり、か……ねえ、羽入聞いてる?』
 梨花は沙都子の隣にもう一つ空の布団を目にしながら呟く。そこに羽入が寝ている、らしい。
『私、もう終わりなのかしら……』
 途端梨花は両腕を抱えながら瞳を下げ、顔を青くした。
『あはは……死ぬって怖い。今までは次があるから、あると思ったから死に対して何も思わなかった。でも、今回ばかりは駄目……だって羽入、貴女が見えないんだもの。私、これまで死なんて怖くないとずっと思っていた。でも違う……私はずっと、逃げていたのね。死ぬことに対して、生きることに対して……それなのに理想の昭和五十八年を探していた、でもどれも外れ。だから次の世界は、て思っていた。次があるだなんてそんなこと当たり前だと思っていた。ホント……傲慢ね。私』
 梨花は淡泊な口調で綴るように独白する。
 ソレは死を前にしてやっと気づいた事柄。
 次なんてないこと。
 リセットなんてないこと。
 だから今を精一杯生きなければならないこと。
 だが梨花は苦悩する。
 ソレを気づいた上で何をすればいいのだろうか。
 途端首を左右に振り梨花は覚悟を決める。
 これまで誰かに頼らなかった。
 だけどみんなに相談すればきっと上手くいくと。
 そう梨花は力強く思った。
 何も言わず唯照らす月。

[八十九頁 過程]

 程なくして祖父である北条鉄平が雛見沢に戻り沙都子を拉致する事件が起きた。
 だが梨花は諦めなかった。
 鉄平に果敢に立ち向かった。
 だからだろう。梨花の姿に突き動かされて圭一や礼奈、魅音とその双子である園崎詩音は行政に乗り込む。
 次第にその輪は雛見沢全体に広がる。
 梨花の目には見えなかったが羽入も一緒になって訴えているという。
 ソレを聞いて梨花は笑みを浮かべた。
 一緒になって戦ってくれていることに。
 一緒になって信じていることに。
 そして沙都子は無事鉄平から解放された。
 梨花は心の底から喜んだ。
 信じれば必ず上手くいく。
 報われた瞬間だった。
 夕刻、蜩は止めどなく鳴いている。
 全てを終えた後、梨花は瑠璃のいる洋館に向かった。
 綿流し前日。

[九十五頁 前日]

 梨花は森の中に吸い込まれるように行く。
 そして見えるひっそりと佇む洋館。
 ソレは古式ゆかしい寒村と和風的な雰囲気が残る雛見沢の中に洋風な建物はある種異端であった。もちろん雛見沢も住宅や昨今では前原屋敷という名所があるがこの洋館はソレらとは明らかに逸脱している。
 世界が遮断していると同義。
 しかしそんな場所だからこそ、梨花にとっては新鮮であり、誰にも教えたくない秘密の一つであった。
『あら、梨花さん。お久しぶりです』
 梨花はその声の方向を向くとそこには如雨露に手を持ち薔薇園に水を与えている最中のメイド服を着込んだ女性、真心の姿があった。
『真心さん、お久しぶりなのです』
『いつ以来でしたっけ。お嬢様、梨花さんがずっと来なかったから退屈していたみたいで本当に困っていたんですから』
『ごめんなさいなのです。でも、もう心配しなくてもいいのですよっ!』
 満面の笑みを浮かべながらそう答える梨花。
『なんだかいいことでもあったみたいですね』
『はいなのですよ!』
 そう言いながら梨花は力強く頷いた。
 梨花にとってみればあの夜、覚悟を決めた晩から全力でやることをした。
 そしてソレが実った。
 だからこそ梨花は笑う。
 そのことを瑠璃に伝えたいためかうずうずしながら真心と話している梨花はまるで子供のようにはしゃいでいた。
『梨花さんは暗い顔よりも笑っている顔の方がずっと素敵です。後でお菓子を持って行きますので早くお嬢様のところに行って英雄譚を聞かせて上げてください』
『英雄譚だなんて……というか何で知っているのですか?』
『さて、なんででしょうかね』
 真心は満面の笑みを浮かべながらそう答えた。
 梨花は暫く難しい顔をしていたが気を取り直して笑みを浮かべた後、館の中へ駆け抜けた。

 蒼と淡い淡紅色が混じった着物を着た瑠璃は梨花の話に聞き入っていた。
 そうして梨花が一通り話し終えた後、瑠璃は拍手をした。
『凄いね』
 梨花は顔を赤らめながら照れた。
『そ、そんなことないわ。ただ私は出来ることをやったまでよ。唯それだけの話』
『ふうん。ということは今までは単にソレをしようとしなかった、てことよね』
『痛いところつくわね……まあ事実だから否定できないけど』
 梨花がそう呟くと瑠璃は「冗談よ」と言いながらくすくすと笑った。
 釣られて梨花も笑う。
『で明日だっけ、綿流し』
『ん。そうよ。明日。もしよかったら瑠璃も見に来てくれない? 私瑠璃がいなかったらここまで努力することもなかった。ただ腐って、酒に溺れて、死ぬのを待つだけだった。だから』
『ごめん。ソレは無理』
 瑠璃はそう言い切った。
 途端唖然とする梨花。
『ど、どうして? 瑠璃はいつも屋敷の中にいるじゃない! たまには外に出てもっ!』
『そういうことじゃないの……私も外に出たいと思う。でも今は無理なの』
『む、無理って……どうして』
 梨花はショックを隠しきれなかった。
 そんな梨花の表情を見て、瑠璃は柔和な笑みを浮かべる。
『落胆しないで。そうね……綿流しの後なら外に出られるかも』
『ほ、本当?』
 刹那梨花は一瞬にして瞳を輝かせた。
『うん。でもね、梨花。貴女に言いたいことがあるの』
『言いたいこと、て今更改まってなんなのよ』
 瑠璃は立ち上がり梨花に傍に近寄ると頭を優しく撫でて瞳を見ながら喋った。
『……目の前に映る事柄を決して背かないで。ソレは必ず通らなければいけない事柄だから。そして今は理解できなくてもいつか……そう、いつか必ず判る日が来る。だからその日まで、目を逸らさないで』
 瑠璃の言葉は梨花にとって理解不能だった。
 だがその言葉はどこか世迷い言ではなく、芯を衝いているように梨花は思えた。
 だからこそ梨花は素直に頷くことしかできなかった。
『うん。それでいいの』
 瑠璃の言葉はどこか優しかった。
 夕刻は過ぎ闇。
 闇を跨ぎ始まる非日常。

[百頁 綿流し]

 ソレは祭。
 梨花達は昼夜模擬店で楽しむ。
 心の底から楽しんだ。
 夜、梨花は奉納演舞を舞う。
 全てが解決したからこそ、梨花は純粋な気持ちで儀式を進める。
 雛見沢とそこに済む全ての人達の幸せを祈って。
 最後は布団の綿を川に流す。
 各々の穢れを綿に籠めて流す。
 生まれてきてくれてありがとう。
 梨花はそう呟いた。
 その言葉は誰に対してでなく、唯純粋な言葉。
 全てが終わる祭。

[百三頁 反転]


 日差しが降り注ぐ。
 梨花はゆっくりと瞼を開けて、緩慢な動きをしながら上半身を起こし、はぁと溜息を吐いた。
 綿流しが終わり、始まる死のカウント。
 フリーカメラマン、富竹ジロウの変死体を皮切りに事態はあらぬ方向に転がる。
 この世界はこれまで経験してきたどの世界であるのか。否、どの世界だって構わない。
 どんな世界であっても抗う。
 梨花はそう覚悟を決めた。
 沙都子の声が聞こえ、梨花はその方向を見た。
 刹那。
 梨花は唖然とした。
 目を見開きながら沙都子を見る。
『さ、沙都子? そこにいるの?』
【何言っているんでございますこと、梨花。私は梨花の目の前にいますわ】
 沙都子は言った。
 多分言った。
 梨花は立ち上がると洗面所に行き顔をばしゃばしゃと水飛沫を立てながら洗う。
【ど、どうしたのですの、梨花? そんなに慌ててお顔を洗いになって】
 梨花は必至に顔を洗い続ける。
 振り向くのが怖かった。
 肯定するのが怖かった。
 どの惨劇よりも恐怖がそこにあった。
 暫くしてから梨花は水道の蛇口を締める。
 そして沙都子がいる方向に梨花は顔を向く。
【大丈夫ですの、梨花?】
『夢じゃ……なかったんだ』
 梨花は抑揚のない声で呟いた。
 目の前には沙都子だけ立っていた。
 ただし、梨花には沙都子の姿が見えなかった。
 一日が始まる眩しいほどの朝日。


挿絵漫画,,


[百七頁 世界]

 登校。授業。雑談。勉強。部活。帰宅。
 梨花にとって初めて体験する世界。
 沙都子が羽入と同じく見えなくなった。
 だがソレは沙都子だけではなかった。
 雛見沢住人、否全ての人間が梨花の目に映らなくなった。
 羽入と唯一違うところは声のみが梨花の耳に届き、そして会話できること。
 また沙都子達は羽入同様、梨花のことが見えるらしい。
 だがこれは存在しているようで存在していない。
 梨花にとって苦痛以外の何物でもなかった。
 こんなことなら羽入のように姿も、声も届かない方がずっとマシだった、と梨花は下々する。
 雛見沢症候群、L5が見せる幻影の仕業とも梨花は考えたがすぐにソレは払拭される。
 昼休み、担任の知恵が梨花を呼び、車の前で立って待っていた興宮署の刑事大石蔵人と会った。
 多分富竹ジロウの件で来たのだろう、と梨花は理解する。
 ただし大石の姿もまた梨花の双眸に確認することが出来なかった。
 放課後、誰にも言わずに興宮まで出かけるが街を行き交う人達もまた梨花の目には見えなかった。
 帰りに入江診療所にも立ち寄ったが結果は同じ。
 声のみが行き交う世界。
 テレビや新聞の人が写った写真や動物もまた然り。
 梨花の目に唯一映ることができるのは漫画やアニメといった二次元のモノだけであり、生きるモノ全てが彼女の瞳に写らなくなった。
 そして梨花は全てを諦観し、悟るのだった。
 これが世界。

[百十一頁 存在]

【おいおい、梨花ちゃん。ずっと暗い顔しているぞ。沙都子喧嘩でもしたのかよ?】
【そんなことしませんわっ! 仮に喧嘩したとしても私と梨花の絆は例えにーにーから貰ったお気に入りのモノがたまたま壊れて仲違いしたとしてもすぐに解決するぐらいの仲のよさでございますことよ!】
【あはは。沙都子ちゃん、その例え凄い有り体だよ、だよ。でも私も心配かな。圭一くん、何かしたんじゃないのかな、かな?】
【俺かよ? なんでそんな目でみんな俺のことを見るんだよ?】
【くくく。だって圭ちゃんならみんなのためとか言いながら捨て身にして残った人のこと考えないで死のうと考えるぐらい短絡的な事梨花ちゃんにやりそうだし~】
【え? 圭一くん、そんなことするのかな、かな】
【や、やめろよ! そんな目で俺の顔を見るなよ、レナ……まあそうなったときはレナ、殴って気づかせてくれな……ってそういうことじゃなくてだな! 羽入、お前も何かみんなに言ってくれよっ!】
 翌日。
 教室の中で圭一達は騒いでいた。
 羽入の声は梨花の耳に届かない。
 しかしソレはなんてことのない日常会話。
 梨花は俯き、耐えていた。
 声のみが存在する世界。
 恐怖と違和感が梨花を襲う。
 梨花は突然立ち上がると教室から、雛見沢分校から脱兎していく。
 人と会うのが怖い。
 会話することが怖い。
 そうして梨花は茂みの中に入り込み、石に躓き転ぶ。
 膝から擦り剥いたところから血が流れている。
 血を手で触ると鉄臭さと同時に生暖かい感触が広がった。
 刹那。
『血が……血が出てる。私、見えてる。見えてるっ! なのに、なのに、なのにっ! もう……嫌。早く、早くっ……私を殺してっ!』
 慟哭。
 大粒の涙が零れ落ちる。
 梨花は縋った。
 自分を殺すであろうとする犯人に死を求める。
 生に拘るとかではなく、ただ存在する価値が欲しかった。
 故に殺されるという行為もまた今の梨花にとっては尊いものであり、待ち遠しくも感じていた。
 これまでの梨花にとって死とは屈辱的なものであり恥辱的なものであり蹂躙に他ならなかった。
 だが今はソレさえもが愛しい。
 目に見えないものと共存する生活より一瞬で終わる死の恐怖の方が梨花は必要だった。
 自殺しようと思い立ったが梨花はすぐにそれを止める。
 自殺をして皆が悲しい顔を見せたくなかった。
 否、自殺をすることでしか自分の存在を確認する事柄が嫌だった。
 故に梨花は人の手で殺されることを熱望する。
 人の手で殺されるという行為そのものが梨花にとってこの世界を生きる唯一の生き甲斐だった。
 木漏れ日と共に奏でるように鳴く蜩。

[百三十九頁 逸脱]

 夜は昼間と比べて夏のようなべた付いた暑さがない代わり、熱帯夜。
 夏が近い証拠なのだろうと梨花は思った。
 梨花は家から一歩も出歩かなくなった。
 沙都子の声も無視し、部屋の角で体育座りしながら梨花は唯殺されるのを待っている。
 雛見沢連続怪死事件通称オヤシロ様の祟り。
 古手家の巫女。
 オヤシロ様の生まれ変わり。
 梨花にとってみればもう全てがどうでもよかった。
 殺す犯人が誰か、なぜ殺すのか等。
 越えることが出来ない昭和五十八年よりも越えて尚皆の存在が見えるようで見えないこの世界に比べれば死は梨花にとって唯一の快楽であり娯楽。
 死への瞬間を今か今かと待ちわびる。
 切腹を待つ侍はこんな心境なのだろうな、と梨花は考え自嘲する。
『そういえば瑠璃……元気にやっているかしら』
 梨花は呟いた。
 瑠璃とは綿流し前日に洋館に訪れたのが最後。
 以来瑠璃と会っていない。
 梨花は瑠璃と会うのが怖かった。
 もし仮に会ったとして沙都子や他の人間みたいに見えなくていたらどうしよう、という恐怖。
 会って話をしたいという欲求は沙都子達が見えなくなってからいつも沸いたがその都度梨花は抑える。
 しかしそれも時間の問題だろう。
 会ってみたいという欲求が理性を駆逐する。
 だからこそ梨花は死を熱望していた。
 そう梨花が募っている刹那ある異変に気づく。
 全ての音が、止まった。
 ソレはこれまで梨花の鼓膜に届いていたはずの生きとし生けるものの鼓動である声が全て一時停止したような感覚。
 梨花は立ち上がる。
『沙都子? そこにいるのですか?』
 梨花の問いかけに返答はない。
 唯梨花の言葉しか残らなかった。
『さ、沙都子……もう意地悪なんだから。た、頼むから何か言ってくださいなのですよ』
 沙都子の声はない。
 一瞬にして背筋がぞく、と悪寒。
『な、何よ! 何よ、何よ、何よ! どうして、どうして、どうして!』
 梨花が絶叫するも部屋にあるのは怒鳴った声の残響だけ。
 駆け足で梨花は部屋から飛び出す。
 そして喉がはち切れそうな声で梨花は叫んだ。
『私はここよ! 彼方が殺したくて堪らない古手梨花はここよ! 殺すのなら殺して! 私、殺されるんでしょ? いいよ、ここで殺してっ! 頼むから殺して! お願いだから殺して! 殺してくれたら何でもしてあげる! 私が目当て? いいわよ、好きなだけ楽しみなさいよ! 遊びなさいよ! 玩具にしてみなさいよ! 私許してあげる! どれだけ蹂躙されても許してあげる! 罵ったり罵倒したりされたいと思うのならしてあげる! 私の言い方が嫌なら謝るわ! コスプレだろ罰ゲームだろうが体罰だろうがなんでもしてみなさいよ! してよっ! 私を存在させてよ! 私がここにいるって思わせてよっ! 私、全部許すから! 全部彼方の言うとおりにしますから! だから、殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺してっ!』
 阿鼻叫喚。
 ソレが今の梨花の姿を一言で現すものだった。
 祭具殿の賽銭箱まで駆けると急に動いたためか息が上がってしまい、両膝をついてはぁはぁと息を整える。
 梨花は聴覚を働かせて何か声をしないか探るが音は無言のまま。
 人はおろか、動物、風さえもない無音。
 言葉が欲しかった。
 音が欲しかった。
 存在が欲しかった。
 生きた証明と死の確認が欲しかった。
 梨花はその場に崩れ落ちるようにへたり込み、声を上げて泣きじゃくっていた。
 先ほどの雄叫びと違いただ子供のように、子供であるように泣く。
 瞳から大粒の涙がアスファルトに滴り落ちるが梨花はお構いなし。
 泣きたいから泣く。 
 暫くして、梨花の目にあるモノが止まった。
 ソレは賽銭箱の裏、何か異様なものがあった。よく見ると裏から梨花の涙と違う何かが滴り落ちていた。
 梨花は四つん這いしながらゆっくりと近づき、賽銭箱の裏にあるものを見た。
 途端、梨花は言葉を失った。
 否、言葉というよりソレは心臓が止まってもおかしくないほどであり暫しの間過呼吸に陥ってしまった。
 深呼吸をし、胸を押さえ落ち着かせながらゆっくりとソレを見る。
 そこにあるモノ。
 ソレは紛れもない腸流しされた後の古手梨花の死体だった。
『……どういうことよ、これ。なんで私死んでいるの? 確かに殺して欲しいと言った。でも、でもっ! なんで私じゃなくてこの古手梨花なのよっ!』
 死体の梨花は虚ろな表情ながらもどこか満足げな表情を浮かべていた。
 ソレが梨花にとって不快だった。
 梨花は死体の梨花に馬乗りをし、両手で顔を押さえる。
『なんで貴女はそんなに満足げな表情を浮かべているのよ。ソレは私の役目のはずなのに……なぜ貴女なの』
 抑揚のない声で梨花は綴る。
 しかし死体の梨花は喋らない。
『ありえない……ありえないわ。私、何者なの……私、何者なの私っ!』
 『私、何者なの?』と同じ台詞を反芻する梨花。
 焦点は定まっておらず朦朧。
 その時、後ろから梨花のことを優しく抱く手が現れた。
 思わず梨花は吃驚し、我に戻った。
『だ、誰?』
 梨花は恐る恐る後ろを振り向いた途端、そこにいた誰かが人差し指を伸ばして梨花の頬を突いた。
 深紅の着物の女性が梨花の目に映った。
『約束通り来たわよ、梨花』
 その姿を見た途端、梨花の瞳から大量の涙がこぼれ落ち、強く抱擁した。
 彼女も梨花の頭を優しく撫でる。
『……ぅぅ、るりぃ』
 梨花の涙声しながら喚いた。
 そうして瑠璃は柔和な笑みを浮かべていた。
 二人を照らす満月。

[百四十四頁 説明]

 梨花達は死体の梨花から離れ古手神社から降りて階段に腰を落としていた。
 大丈夫と瑠璃は梨花を気遣う。
 梨花は大丈夫と言いながら目配せ。
 瑠璃の片手には年季の入った焦げ茶色のトランク。
『梨花、落ち着いた?』
『うん……ありがとう』
 瞳から全て溢れ出た涙は止まった。代わりに眼は赤く腫れ頬には涙を流した後が残った。
 瑠璃は着物の間に忍ばせていたハンカチを手に梨花の顔を拭く。
『瑠璃が……いてよかった。私、もう怖くて……怖くて』
『そっか。まぁ仕方がないよ』
『…………そうなのかな。だって他のみんなは私の目には見えなかった。なのに瑠璃の姿ははっきりと見えるの。どうしてなのよ? ねえ瑠璃判る? 判るなら教えてっ!』
 質問を投げかける梨花。
 瑠璃は抑揚のない双眸で梨花を眼差す。
『ここが乖離した世界だから』
 突然の言葉に梨花は唖然としていた。
『……嘘。そんなことを私、望んでいない』
『……今の貴女ならそう思うでしょうね』
 言葉を紡ぐ瑠璃。
『考えても見て。なぜ貴女がこの世界に来て古手羽入の存在がなくなったのかを。彼女は貴女のパートナーであり共に惨劇の世界から抜けだそうと力を貸す神様だった。だけどこの世界では彼女は顕現化し、人として生を送った。彼女だけじゃない。貴女の眼に彼女の存在が消えたこと、そしてこれまで共存してきた人間が消えたことは決して偶然なんかじゃない。つまり貴女、梨花は迷い込んだのよ。この真実もと虚実とも結びつきそうで結びつかない世界にね』
 梨花は言葉を失った。
 ソレは瑠璃という羽入と何ら接点がない人物が梨花にしか知り得ない事柄に言及していることに。
 これまで彼女に自分を重ねていたことが、偶然ではなかったことに。
『なら、死体の私は? 私はこうして生きているのにあそこにあった死体の私はっ!』
『梨花……彼女も古手梨花よ。でも貴女がこうして私と話しが出来るのはなぜだと思う? 私がこれまで館の外に出歩けなかったわけ。ソレは出歩くと貴女のことが見えないの。あの館には何かを導くものがあったのでしょうね。そして私がこうして貴女を見つけ外で会話できる。つまり貴女も私と同じ物語からぶれて死体である古手梨花も見ることができたわけ。簡単に言うと幽霊になったわけ』
『そ、そんな……そんなことって』
 ショックが隠しきれなかった。
 ソレは梨花にとってこれまでと違うものに他無かったから。
 梨花は声を絞り出しながら、今までずっと胸の内で我慢していたことを瑠璃に訊いた。
『ねえ。一つ訊いていい? ……貴女、私でしょう』
『…………ええ』
 二人は対峙したままお互い次の言葉を発するのを待っていた。
 空は漆黒。
 森は囁き、そして、
『私も古手梨花よ』
 瑠璃は凜とした声でそう言い切った。
 
 彼女、瑠璃もまた古手梨花と同じ経緯を辿った人であった。
 ソレは羽入の姿が無くなり、これまで築いてきた人間が声にのみ存在し、そして至る無の世界。
『私が着物を着ているのは私のことを導いてくれた人の影響かな。導いたというより今の梨花の頃にお世話になった私、て感じ』
『なんだかややこしいわね』
『そうね』
 満面の笑みを浮かべながら瑠璃は笑った。
『この世界は他の私達、つまり古手梨花とは違う世界じゃないのかな、て思うの。ほらゲームでもたまに隠しシナリオとか隠しダンジョンとか隠しステージとか隠れキャラとかあるじゃない? そんな感じなのよ』
『まるで不思議の国に迷いこんだアリスみたい』
『そうね。でも鏡の国ように自ら来る人もいるかもしれないけどね』
 瑠璃がそう言い笑う。
 梨花も釣られて笑う。
『それにしても瑠璃、どうして綿流し前に会った時に教えてくれなかったのよ』
『だって言っても真実を信じなかったでしょう? だから遠回しに言ったの』
『そっか…………はぁ、私これからどうなっちゃうのだろう。ねえ瑠璃私どうしたら』
『さあ。それは自分で考えなさい』
 瑠璃の言葉に梨花は呆気にとられた。
『確かに私も貴女も同じ古手梨花だわ。でもどう生きるかは自由。つまり同じじゃないのよ。私達は同じようで違うものだから。でも、そうね。どこに行くのか決まるまで雛見沢にいるのが嫌なら外に出かけるのもいいかもね。相変わらずの世界だけど気晴らしにはなるわ。あと私が勧めるのは洋館に住むことかしら。多分一人じゃないから』
『瑠璃は? 瑠璃はどうするの?』
 梨花がそういうと瑠璃は立ち上がトランクを持ち上げる。
 続いて梨花も立ち上がった。
『私は館から出て外の世界に出てみるわ。なんだかよく知らないんだけど私達、時間を自由に選択することができるみたいなの。どの世界、どの場所を選ぶのも自由。一種のタイムマシンなモノね。でも選択は一度だけみたい。そしてそこから先はループなんてない。ただ生きるだけ』
『……じゃあ貴女は、瑠璃はなぜこの世界を選んだの?』
『なんでだろうね。私もよく覚えてないけど……でも貴女のことを導きたかった、と言えば嘘になるかしら』
 途端瑠璃は左手にトランクを持ち替え空いた右手を梨花の前に差し出した。
『本当は導きなんていらないのかもしれないけど、でも私は貴女にそうしたかった』
『……お節介』
 そうかもねと瑠璃は誤魔化すように笑った。
 閑話休題。
 梨花もまた左手を差し出し瑠璃と握手した。
『私、行くわ。後のことは真心に聞いて』
『ねえ、真心ってもしかして』
『それ以上言うのは野暮ってものよ。人それぞれ選択肢はある。同じ人間でも例外なくね』
 瑠璃が柔和な笑みを浮かべ、梨花もまた彼女に倣い笑った。
 そうして瑠璃は梨花の手から離れると歩きだす。
 暫くしてから梨花も歩き出した。
 瑠璃は外へ。
 梨花は森へ。

 梨花は綿流し以来となる洋館に訪れる。
 その時梨花の目の前に相変わらず如雨露で薔薇に水をやる真心の姿が写った。
 梨花は一瞬口を噤み、顔を赤らめた。
『そ、その……ま、真心……た、ただいま』
『……お帰りなさい、梨花お嬢様』
 真心は至福を浮かべた表情でそう言った。
 梨花は洋館に住む新たな家主となった。
 進む遅れる始まる生まれる刻む月日。

[二百八十九頁 真心]

 数十年後。
 梨花は二十歳を迎えた。
 背丈はスレンダーで黒々とした髪が印象的。瑠璃と違い西洋風の衣装を好んで着ていた。
 惨劇から回避し、のんびりとした暮らし。
 そんなある日、梨花は身支度をして真心のことを部屋に呼んだ。
『梨花お嬢様、出でいかれるのですね』
『うん。その、真心今までありがとう。私がいなくなるけど、もし私が来ることがあるのなら』
『判ってますよ。きちんと導きたいと思います』
『…………真心はこの屋敷を出て行こうと思ったこと、ないの?』
 真心は柔和な笑みを浮かべて首を左右に振った。
 彼女もまた古手梨花であり導くモノ。
『私は梨花お嬢様にも瑠璃お嬢様にも出会えて、仕えてよかったと心から思っております。外に出て行かれる選択もあればこうして中に留まり外に出て行くモノを仕える選択もあるのです』
『もしかして……瑠璃がお世話になった私って貴女のことじゃないでしょうね?』
 梨花の質問に真心は笑った。
『なによ、違うの? 結構いい線いっていたと思うんだけど』
『さあ。でも言わぬが花って諺がありますでしょう? だから言いません。女は秘密を持っている方が美しいですからね』
『なによぉ……じゃあ秘密の持っていない私は美しくないって言うわけ』
 梨花がそうぼやくと真心はそんなことありませんよと相槌を打った。
 落ち着いてから梨花達はゆっくりと玄関に向かう。

 玄関に着くと梨花は靴を履いてから暫くその場で佇んでいた。
『……梨花お嬢様? どうしました? もしかして怖じ気ずいたとか?』
『そ、そんなわけないじゃない! なんで私が怖じ気づくのよ!』
 振り向いて真心に反論する梨花。
『そうでしたね……まったく梨花お嬢様はからかいがいのある人です』
『からかいがいって……どんな半生を送ったら貴女みたいなキャラになるのか不思議でならないわよ』
『ソレは秘密です。まあいいじゃないですか、梨花お嬢様のいじられキャラもおいしいポジションですよ』
 満面の笑みを浮かべながら真心は言う。
『じゃあ、真心……最後のお願い、訊いてくれる?』
 梨花の問いにはい、と会釈する真心。
 そうして梨花は手に持っていた荷物を床においてから、ゆっくりと真心に抱きついた。
『梨花お嬢様……もしかして一人で旅立つことが怖いのですか?』
『……うん。私、今まで羽入でも瑠璃や貴女にでも誰かに導きかれながらここまで来た。だから、これから一人で旅立つことが、怖いっ』
『でも梨花お嬢様は見つけたのでしょう? 外の世界で何をするのかを』
 ええと言いながら頷く梨花。
『それなら大丈夫ですよ。梨花お嬢様……一人で決めて行動するということは辛いですけど、誰もが通る道です。私達なら尚更のこと。どの外の世界に行っても私達はこれまでやってきたことは重荷となり他人の人生を狂わせて尚なぜまだ生きているのかと禅問答を繰り返しながら罪の十字架を苛まれることになるでしょう。でも……ソレを受け入れて私達は生きていかなければなりません。過去にこだわるのではなく今を生きる、それが私達らしさでしょう?』
『厳しいね、真心は……』
『はい』
 梨花は真心からゆっくりと離れた。
『えーと、あと』
『まだ何かありますか?』
『んーどうでもいいことなんだけど……最近ずっと気になっていたんだけど、もしかしたら真心と瑠璃の入れ替えトリックしていた……とか?』
 途端真心は一瞬唖然とした後、堪えきれずに腹を抱えながら笑った。
『梨花お嬢様、もしかしてこの前読んでいられた本格ミステリ小説の影響ですか? 大体私達が入れ替えしたところで意味があるんですか。そんな意味のないことするわけないじゃないですかぁ。突拍子にもほどがあります』
『……わ、判ってるわよっ! 私もそんなこと絶対にないと思っていたけど、ほら洋館モノって入れ替えトリックとか定番じゃない! ソレに真心も瑠璃も薔薇園について言ってたし! あと真心っ! 貴女ずっと前に喋ってもいないのに私の英雄譚とか言い当てたじゃない! それで推理小説を読んだら貴女達の思わせぶりの行動が急に思い出して気になっちゃったの! もぉ、そんなに笑わないでよ!』
 顔を真っ赤にしながら梨花は拗ねていた。
『うふふ。そんなこともありましたよね。よく覚えてますね梨花お嬢様。薔薇園は瑠璃お嬢様も好きでしたから。それと英雄譚ですか。そんなの梨花お嬢様の顔色を見れば一発で判りますよ。何かをやりきった表情をして凄く嬉しそうでしたからね……まぁ何にしても想像力がたくましいとはいいことです。色々な意味で』
『なによぅ。貴女だって私のくせに』
『私は梨花お嬢様とは違いますから』
『……はぁ最後の最後に馬鹿言っちゃった……締まりのない別れ方ね』
『そうですね。でも梨花お嬢様らしくて私はいいと思いますよ』
 梨花は何か言いたげだったか観念した表情をしたのだった。
 閑話休題。
『そろそろ行くわ……今までありがとう。もう二度と会える機会はないかもしれないけど、本当に貴女と一緒にいた日々、楽しかった。だから……さよなら、真心』
『はい、道中お気をつけて。いってらっしゃい……さようなら梨花お嬢様』
 真心は笑窪を作りながら深々とお辞儀。
 どこか寂しくも誇らしげな視線で見送っていた。   
 梨花も笑みを浮かべて一瞥してから入り口の扉を開き、そして、

[二百九十八頁 雛見沢停留所]

 雨が降る中、梨花は停留所の中で座ってバスが来るのを待っていた。
 梨花の隣にはポニーテイルの少女がいた。
『雨止まないですねー、梨花さん』
『…………』
『梨花さん? ちょっと、聞いてますか? もしかして私達の愛の逃避行とか思ったりしちゃったりしてー!』
『さあ』
『それにしてもバス来ないですよねー。あと残り一時間もあるみたいじゃないですかー。これじゃあ何のために学校サボったのか判らなくなりますよ!』
『そうね』
『……はぁ、雨めー!』
 ポニーテイルの少女はそう言いながら表情をころころ変えて憤慨していた。
 梨花は彼女のその姿を眺めていた。
『ねえ、バスに乗ってから貴女はどうする?』
『どうするって、そうですねー。梨花さんはどうするんですか?』
『私? ……そうね。新宿あたりに行こうかしらね』
『新宿って東京の? 梨花さん、何しに行くんですかー!』
『語り手。ソレに新宿に森があるかもしれないし』
『……梨花さんがそう言うのならきっとできますよー! ありますよー!』
 ポニーテイルの少女はそう言い切った。
 梨花はそうね、と柔和な笑みを浮かべながら答える。
 刹那梨花の鼓膜に奏でる鳴き声が聞こえた。
 ソレは梨花にとって久しぶりに聞く鳴き声。
 これから先どうなるか梨花にも皆目検討がつかなかった。
 だがこの世界で誠実に生きていこうと梨花は決めた。
 これからが始まる世界。
 雲によって日差しが遮られ、雨が降り続ける雛見沢。
 雨によって木々は湿り梅雨独特の匂い。
 蜩の鳴く頃に。


                             了。」

2008/12/22 10:05 | ひぐ大SSCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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