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「forest」

雨が降っていた。
それを見て北条沙都子は憂鬱な気分になった。
千九百八十三年六月。
じめっとした生暖かく夏はまだ幾何か到来してないのに暑い毎日。
ふと沙都子は他のメンバーを眺めると友人の古手梨花も上級生の園崎魅音や竜宮レナ、前原圭一も暑さには敵わない様子だった。
一方担任の知恵留美子はこの暑さでも激辛カレーを事務員の如月一矢と一緒に食する仲だった。二人は相思相愛の仲だが一矢は知恵の恋慕に気づかない様子だった。
端から見ていると知恵が一矢に紅潮しているのが一発で判るのだが当の一矢本人はそれに気づこうとしない。圭一はそれを見て情けないなぁと哀れんだ口調で唾棄しているが当の圭一本人も沙都子が恋慕していることに気づこうとしてない。
まったく、これだから男ってひとは。
そう溜息を吐いた途端、沙都子は翳る。
圭一を見るといつも思い浮かぶのは兄である北条悟史の姿。
悟史が沙都子の前から消えて一年。
兄の幻影は未だ沙都子の心に憑依する。
ざあざあ。
雨が降っていた。


誘いましょう。彼の元へと。
誘いましょう。泡沫の願望を。
沙都子は夢を見ていた。兄の悟史と一緒にいる。何の弊害も何の傷害も何の軋轢もない幸せな二人。
にーにーと一緒は楽しい。
にーにーと離れたくない。
そればかりが沙都子の心を蝕む。昭和五十七年の綿流しの日以降悟史が失踪した。
理由は不明、でも沙都子は自分が悟史に甘えていたから消えてしまったんだと心に楔を打ち込む。
がんがん、と。
だからにーにー。
わたくし、にーにーがいなくても、一人でなんでもやってみますわ。
わたくし、にーにーがいなくても、強くなってみますわ。
でも沙都子はもう一つ、幻影たる心が呟く。
自己満足じゃないかと。
自己肯定でしかないかと。
そして甘美に酔いしれているだけではないかと。
がんがん。
沙都子は楔を打ち込む。
夢の中でも。夢の外でも。

しとしとと雨音。
六月は沙都子にとって敏感な月である。悟史が消えた要因となった綿流しが今年も行われる。
今年は去年以上に盛り上がるだろうと魅音が言った。
沙都子は虚勢を張って圭一やレナに振る舞っているが内心、臆病になっている。そして自分を下々する。
にーにーがいなくなったのに一人だけ楽しむだなんて、と。
お祭りなんて一瞬。それは幻のように儚く、尊い。
沙都子は教室から出ると教務室に行き、一矢と知恵に会いに行った。悟史は失踪する前は文学青年だった。学校内でも本を読む姿が目立っていた。沙都子は悟史の記憶の断片を一つでも共有したくて悟史がどんな本を読んでいたのか気になっていた。
悟史はかつて図書館に頻繁に訪れていては本を漁っていた。
それは沙都子自身目で追っていたことが幾度もあるので判っていた。だが沙都子は本を読むことに抵抗があった。
そもそも活字が羅列になって綴る文章が頭の中でイメージできない。
元来沙都子は身体を動かす方が好きで、動きながら頭を働かすタイプであることは自覚していた。なのでいつもテストではぼろぼろ。
でもにーにーと違ってわたくしは動いている方が好きなので本なんか読まなくてもよろしいのですことよ。をーほっほっほ!
そう沙都子は思っていた。
少なくとも悟史がいなくなる前までは。
悟史がいなくなった途端沙都子は悟史の断片を少しでも読みたくて小説を読むようになった。しかし集中して読むことができず同居人の梨花の方が読むスピードが速い程だった。それになんて書いてあるのか判らない漢字が多数存在した。
それでも読みたいと思い漢字ドリルを日々続けていた。その成果があって現在では小説に出てくる常套漢字についてはある程度読めるようになった。だがそれでも文字を追っていると言った方が早く場面がイメージできなかった。
また悟史が好んでよんでいたのが読んでいたのがルイス・キャロルや夢野久作に代表されるような異端幻想文学が中心となっており、表紙が沙都子にとっては畏怖してしまい、手を付けることができなかった。
それに本を読んでいるところを圭一達に見られると茶化されるのが嫌だった。
梨花やレナさんは本を読んでいても違和感がないと思われますがわたくしや魅音さんが本を読んでいるところなんて。
勝手な先入観がまた沙都子が本離れをする要因の一つでもあった。
もっとにーにーと共有したいのに。
沙都子はそう思わずにはいられなかった。


雨は今日も続く。
梅雨に入ったがじめじめとした暑さは相変わらず続く。からっとした夏が来るまでは直ぐそこだというのに。
沙都子はとにかく梅雨が嫌いだった。なぜこんな中途半端な季節が存在するのですのといつも思う。
はあと溜息を吐くと隣にいた女性が「どうしたのですか?」と訊いてきた。
沙都子はなんでもありませんわと答えると女性は「本当ですかー?」と再度尋ねる。
そうして沙都子は彼女、園崎詩音に狼狽された。

ことの発端は沙都子が興宮の図書館で詩音と邂逅したところから話は始まる。その日沙都子は悟史が暇があれば読んでいたという『魔法使いの夜』を借り行っていた。だがその本は興宮図書館では一冊しかなく貸し借りが頻繁にされており、探し続けて数ヶ月、未だ沙都子と邂逅することはなかった。なんでもその本は出版社から発売されたものではなく自費出版されたもので元来国立図書館ではそういうものは貸し借りは殆どないのだが司書を務めている朝岡日糸が本の内容と版型、装幀、文字組を含めてその本に惚れ込み作者、また他の司書員を説得した経緯がある。
だが一点物であり作者も増刷するつもりはないとのことなのでこの本は多くの人が探し求めているが未だ読了している人が少なく知恵や一矢、圭一の母の藍子でさえ邂逅する機会がなく『魔法使いの夜』という本事態がないのではないのかといわれるぐらいまでになった。
たが貸し出しはしている。
増刷しているものならともかく一点物は一期一会だと沙都子はいつも思う。
本は読みたい人に必ず導かれる、と前に一矢が語っていた。
ならわたくしはにーにーが愛読していた本に出会う資格がないのですこと?
その時沙都子は後ろから肩が叩かれ、振り返ると人差し指でほっぺたを押す詩音の姿があった。
いきなり何事ですのーと激昂する沙都子。だが詩音は「ごめんなさい~」と悪びれた様子のない笑顔で謝った。
これも何かの縁ですといいながら詩音は沙都子と梨花が住む家に泊まりに行くと言い出してきた。沙都子は速攻で断ったが詩音は「なら行きましょう」と聞く耳を持たずに行き、その途中大雨が降ってきて近くにあった停留所に二人して非難していたのであった。
眼下に見えるのは雨に打たれ続ける葉や枝の連鎖。そうして雨は森をしとしとと濡らし地面をぬかるむ場所が多く拡大する。
森の澄んだ独特の匂いと雨音が沙都子の聴覚に訥々と響く。
それを見て詩音は沙都子にくっついてきた。
暑苦しいのですわ~!
沙都子はそう怒鳴ったが詩音は相変わらずの笑顔だった。

小説はあくまで小説。
だからそんなに片意地はらなくてもいいんです。
詩音が沙都子にそう言った。突然のことに沙都子はきょとんとしたが直ぐに詩音に反論した。
詩音さんににーにーの何が判るというのですの!
詩音さんにどうしてそんなこといわれなきゃいけませんの!
沙都子の怒号は雨で緞帳のようにかき消されているが喉の奥から言う。詩音は沙都子の言うことに一言も反論せず、そして沙都子が肩で息をして力尽きたところを見計らって「お疲れ様です」とねぎらいの言葉を発した。
そうして詩音は鞄から一冊の本を取り出した。
それは『魔法使いの夜』。
悟史がこよなく愛読していた本であり、沙都子は目を丸くしてその場から動けなかった。

詩音がこの小説を貰ったのは悟史が失踪する数日前のことだった。突然悟史が詩音に本を渡したのだった。突然のことで詩音は吃驚していたが続けて悟史は『妹を頼むよ』と言った。それが詩音が悟史に会った最後となった。
『魔法使いの夜』を読んだのですの? 
沙都子はそう詩音に尋ねると詩音はうんと頷きながらも難しい顔をしていた。詩音曰く捕らえ所のない作品と比喩した。面白いと思えば面白い、つまらないといえばつまらないと一言で言える小説。でも詩音が読了した感想としては釈然とせずそれでいて娯楽的ではない爽快感と何かが解決したような納得が一度に押し寄せた感じだと言う。
余計意味が判りませんわー!
沙都子はそう発すと詩音はとりあえず読んでみてくださいと渡してきた。でもここで沙都子は疑問に思う。
なぜわたくしににーにーから貰った本を渡すのですこと? だって詩音さんは、その、にーにーのことが大好きでしてそれで、にーにーから貰った本を誰にも渡さずにこれまでいたのに。どうして。
すると詩音は微笑みながら優しい声で口を開いた。
私はこの本で悟史君の愛をいっぱい貰いました。悟史くんの想いをいっぱい貰いました。悟史くんが何を考えているのか断片的ですが共感することができました。そして悟史くんが最後に言った言葉を、咀嚼することができ、実行することができました。だから。
詩音は一呼吸置くと「私のことねーねーと呼んでください」と言い切った。
沙都子は怪訝する。
その本一冊でそこまで考えることができるのですこと? にーにーの想いを知ることが出来るのですこと? ……にーにー。
し、仕方ありませんわねと沙都子は本を貰おうとするが突如詩音は肘を上に上げて本を沙都子の身長よりも高い位置に上げた。
一体なんなのですの! 沙都子がそう憤慨していると詩音は「私のことねーねーと呼んでください☆」と嘲笑を浮かべた。
絶対にわたくしのことを遊んでいるのですわ~! 
沙都子はそう思いながらも本は読んでみたいので仕方なく一呼吸おいて顔を紅潮させながら「ね、ねーねー……」と躊躇しながら言うと詩音はいきなり沙都子に抱きついてきた。
かぁいいモードのレナさんの真似事、詩音さんしてくださいまし~!
沙都子は内心でそう激昂するも口から出る言葉は「ね、ねーねー……」だけだった。
雨が弾く森の中、したしたとした空間が流れていた。

雨が上がり沙都子は家に帰ると早速本を読み始めた。がかなりの厚さで沙都子にとってはすぐに読み終えるような代物ではなかった。
それに判らない漢字も多いのですわ~! と沙都子は嘆いていると漢字のよこに一つ一つルビが振ってあり見ると丁寧に沙都子にでもスラスラ読めるように書いてあった。
通常難しい漢字以外や読み方に限り漢字の横にルビを振ることは多いが、全ての漢字にルビを振るのはまず希なことであり、それをやったのは他でもない詩音であった。
詩音は沙都子に本を渡そうと決めたとき、初めにしたことは沙都子にでも読みやすくすることだった。だから丁寧に一文字一文字ルビを心がけた。
そう思うと沙都子は胸の奥から熱いものがこみ上げてきて、両手で本を押さえつけるよう胸に埋めた。
突然のことに近くにいた梨花が一体どうしたのですかと訊いてきたが沙都子はしばらく無言の後、「……嬉しいのですわ」と呟いた。
本当に嬉しいのですわ。
にーにーから渡された本が、詩音さん、いえねーねーが私のために読みやすくしているのですの。
この本からは愛が詰まっているように思えたのですわ。
にーにー。
ねーねー。
……ありがとう。

その日以降沙都子はその小説を離すことはなかった。魅音や圭一に冷やかされたり、知恵や一矢が小説を奪取しようと試みたが沙都子の持ち前のトラップマスターの能力をいかんなく発揮し、またレナや詩音、梨花の協力を得て読書中に小説が奪取されるようなことはなかった。
レナは詳細は知らないがいつもと違う沙都子に察して協力するようになった。
普段お持ち帰りばかりされている沙都子にとってレナが協力するなんてと怪訝したが、梨花は「レナはお世話焼きさんなのですよ。にぱ~☆」と言いながら笑っていた。

それから一ヶ月後沙都子は小説を読了した。レナや梨花に感想はどうたったかと尋ねられると沙都子は怪訝して、う~んと首を捻らせていた。
一言で説明することが難しい小説。
でもにーにーが、ねーねーがこの小説が好きなわけがなんとなく判りますわ。
森のように迷宮に迷い込むようでいて、答えが一つではないと示唆されているかのような感じ。
でも、と沙都子は最後にこう付け加えた。
にーにーとねーねー。
なんだかお似合いのカップルですわね、と。

数日後沙都子は詩音と共に著者の元に訪れることになる。突然毛並みの揃った赤毛猫が沙都子達の元へ手紙を持って訪れて、詩音と共に森の中を割くようについていくとそこにはログハウス風の小屋が出現し、そこで著者である彼女と邂逅することになる。
小柄でお下げをした八重歯が似合う女性。『でちゅでちゅ』と茸のイラストをプリントされたエプロンをしており一言で言うのなら本屋の店員。
そして間延びした声。
彼女を見て沙都子達はこの人が小説を書いたんだと一発で判った。
捕らえ所のない小説。
捕らえ所のないひと。
彼女、迦遼アヤカ(偽名)はまさしくそれに該当していた。

なんの招待が知らないのですわ。
もしかしたら……にーにーも彼女に招待されてたかもされませんでしたよ。
本好きのにーにーならぴったりですわ。
沙都子はそう思うたび、くすっと笑みがこぼれた。

帰り道沙都子は詩音に現在読書が楽しいと告白した。
詩音は「いいことです☆」と微笑んでいた。
きっかけはなんでもいいのですわ。
でも他でもないにーにーがしてくださいましたこと。これ以上ない幸せですわ。
空を仰ぐと雲一つない晴天の先に一直線に伸びる飛行機雲。
季節は梅雨を越え、夏が到来した。
雨はしばらく降っていない。
にーにー。
早く帰ってくださいまし。
わたくしはねーねーと待っていますわ。

二人は森から出て帰路に急いだ。


                                                  おわり

2007/09/13 21:59 | SSCOMMENT(1)TRACKBACK(0)  

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No:44 2007/09/13 23:58 | # [ 編集 ]

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